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2009.11.04-05 Santorini-Athene-Japan!

February 22, 2010 11:39

ヨーロッパ旅の最後を締めていなかったので、
最終日まで記録しておいて、締めます!

旅の最後 11/4にサントリーニ島からアテネに戻り、
11/5にアテネからヒースロー経由で日本に戻りました。

これ、アテネで一泊入れておいて本当に良かった・・・

というのは、11/4 サントリーニ AM10時発だったのですが、
天候のせい、とか言って飛行機が遅れて、「1時に変更」になり、
まあそのくらいなら・・・と仕方なく待っていたら、

直前に「3時に変更」 になり・・・ 5時に変更になり・・・
結局飛んだのは午後18時。

途中で気付いたんだけど、
一日に2便あるのだが、1便目の客が少ないと、こっそりキャンセルにして
2便目にまとめてしまうらしい。。。
(案の定、2便目は丁度ぴったりの満席だった)

はやくアテネに戻れたら、もう一回アクロポリス登ろうと思ってたのに!
ぬおおギリシャ・・・侮れん・・ 


乗る頃には日が暮れそうなAegean air.


& さらに、

アテネに着いて、空港バスに乗り込んでシンタグマまで行けるハズが
途中 半分くらいのエスニキアミナで、突然運転手が
「あー道込んでるからここでやめる。 みんな降りな!
 ここ地下鉄の駅の上だから、地下鉄で行って」

ゑーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

「ちょ、きちんとシンタグマまでバスのチケット買ったんですけど・・・
 払い戻ししてくれるんですか?
 それともこのチケットで地下鉄乗らせて貰える?」
「何言ってんの?無理無理。 またメトロでチケット買いなよ。」
うおお。。。振替輸送というideaなんてないのね、この国は・・・

乗客のみんな、不満そうだけど、
まあいつものこと?らしく、サッサと降りて行ってしまった。・・・


ギリシャ、実際にこうしてリアルを経験してみると
日本で私達がイメージしているような何でも美しい国、だけではないみたい。
かなり不便なことが常識。 
自分で歩いて周るなら、ちょっと覚悟して行ったほうがいいです。

でも、旅から帰って、なんだか一番気になる国。
また行きたいなあ・・・


なんとか、ホテルに着く頃にはもうクタクタだったけれど

最後にこの景色が観れて良かった。

この、アクロポリスのパンテオンの夜景が屋上のバーから見えるから、って最後に選んだホテル。

旅を始める前は、本当に無事にここまで来れるのかしら?
この景色まで、辿り着けるかしら??
ってちょっとドキドキだったけれど、何とか本当にここまで来て、この目で見ることができた。

1ヶ月前にアムスに降り立ったのが凄く昔のように感じた。
長かったけど、本当に素晴らしかった。 人生最高の旅。

DSC_1509.JPG


ヨーロッパの旅のエントリーを、europe09でまとめました。

激安で周れたので、もし旅に行く人がいたら、
いろいろ情報教えられるので、言ってね!
ぶっちゃけ、1~2ヶ月分の給料くらいでこれだけ周れちゃう。
それだけで一生モノの経験。 
一生一度は、ゼヒ!

Thank you, McQueen

February 14, 2010 05:40

彼がいなくなったことは世界にとっても人類にとっても大きな損失だが、
こんな小さな私にとっても本当に大きな存在だった。


絶望ばかりしていた10代の頃、
私にfashionという夢を与えてくれた人。
生きる勇気をくれた人。

彼の強さにどれだけの勇気を貰ったか。
彼の世界の美しさと狂気に、どれだけの夢を貰ったか。
憧れて、全身彼の服を纏って歩いた19才。

fashionは外見だけれど、人を内側から強くする。
そう知ったのは彼の服から。



亡くなった日は今までの10年間を思い出しては何回も泣いた。

堪らなくてNYの彼の路面店へ行くと、閉まっていた。
店の前に置かれる献花の薔薇。
自然と集まってきている人達と、ただ呆然と店を眺めて、
このロゴにどれだけ勇気付けられてきたのだろう? と思うとまた込み上げてきて
また泣いてしまった。
うつむいてぐすぐす泣きながら歩いたミートパッキングエリア。
泣きながら見上げたNYの星空。
絶対一生忘れない。





人間、きっと誰しもが、人生を救われたもののために生きてるんだと思う。
自分の人生を変えたあの写真。あのヴィジュアル。あの服。
全部はっきりと覚えてる。

それに感謝するために、
そしてまた同じように自分もあの感動を創ることができたら?
同じように、自分がまた違う人に夢を与えることができたら?
それだけのために生きる。

人を、世界を幸せにするためだけに、自分の力を使う。自分の人生を捧げる。

いつも原点。忘れちゃいけない。


ありがとう、McQueen.  永遠に。

My way, Woman's way

February 3, 2010 05:45


先日、私の人生にとってとてもいい経験がありました。 

ので、忘れないうちに、熱が冷めないうちに、ブログ


この間、NYに住む日本人の交流会があり、
ロイター通信に勤める日本人女性、我謝京子さんのお話を聞くことができました。

彼女はロイターの記者でありながら、ドキュメンタリー映画も完成させたのこと。

「Mothers’ Way, Daughters’ Choice」
http://mwdc.net/


ここからは暫く私の話だけれど、

前々から、26歳、27歳を過ぎた頃辺りから
女として、働くこと。 を自然と、すごく意識するようになった。
仕事の現場で、男性と対等に仕事する中で、責任も年を増す毎に大きくなる中で、

強くなければならない。

一方、その辺りの歳になると、勿論家庭に入る女の子もいる。
定時帰り、気楽なOLさんで、毎日可愛い服に身を包んで華やかな同い年もいる。

毎日、週末も、朝から終電まで働いて髪はボサボサ、くたびれた格好の自分。
ずっと、22歳から7年間、全力疾走で働いてた。

それでも、あたしは仕事が好き!!!

って思って働いていたけれど、どこかで "日本人の常識" である "女性の人生" を意識する自分。

30歳過ぎたら子供を生んで、家庭に入って、家を買って、・・・?


仕事は続けたい。

でも、私の母は、私が10歳過ぎるまで、ずっと主婦として家に居てくれた。
それはとても幸せだった。大きな安心感と共にいて、安定して伸び伸びと育つことが出来た。
だから、子供を産むなら、私もそうしてあげたい。

そんな、理想とのギャップ。


そして、実は、私の中には驚くほど、"母性" というものがない。
ないの。
はやく子どもが欲しい! という女性が大多数な中で、
私は、全くそういう気持ちが起こらない。

それも、ずっと悲しかった。



でも、女に産まれたんだから、30歳を超えたら、、いつかは? 



そんな中、病気をした。

前職の間、2~3度程大きい病を患っていて、一度目は胃潰瘍。
完全に精神の弱さから。 で、同時に鬱にもなってた。
胃が痛くてマトモな食事も摂れない、心が痛くて泣きながら仕事をしている。

でも、それは、克服できた。
私はとても強くなれた。


と思っていたら、次は、違う病になった。
あまり言いたくもないんだけれど、調べたら、偶然なのか、彼女も同じ病になっていた。

悩んだ。
私、子供が産めなくなるのかもしれない。

数ヶ月間、投薬した。

副作用は凄く辛くて、仕事は続けてるんだけれど、
薬のせいで、毎日吐き気がして、眠れなくて、感情のコントロールが効かなくて。
気合いと強さで何とかなると思ってたけれど、病気と強い薬には勝てなかった。


ずっと考え続けた。
仕事。
病気をしてまでする仕事。?
仕事=人生?
女としての人生。
世間の常識。理想的な人生。
自分の人生。


このまま、毎日のタスクに追われ、仕事を続けていても
答えはないと思っていた。





だから、海外へ出た。




そして、それは、

30歳以降、そんな "女としての人生" に縛られるであろう自分への、

" 最後の 自由 の プレゼント"

だった。




前置きが長くなったけれど、
そんな、私がずっと抱いていた思いがあった。







そして、彼女の話。映画。

素晴らしく頭が良く、素晴らしいプレゼン力で、素晴らしく強く、素晴らしいパワーに溢れている。


さっきも書いたけれど、彼女も私と同じ病に遭って、彼女は子供を産むことを選択した。
そして、後は仕事復帰して、パワフルに飛び回る。
そして女性として、母として、に悩み、・・・ 後は、映画の紹介ページの通り。


以下は、私の受けたメッセージ。


仕事をする上で、女として、母として、という悩みは、
みーんな持っている。
全員が持っている。

当たり前なものなんだ、ということ。


日本に居て、そういった"日本人の描く理想の女性の姿" に苦しむんだったら

日本を出てしまえばいいだけじゃない。

NYはそんなものは何もない。
もっと女性が頑張れるだけ頑張れる環境がある。

日本にいるから、そういう常識に惑わされて苦しいだけ。なの。



しかし、外国に来るまでは、

"日本じゃ駄目なの、自分には窮屈なの、"
そう思って出た筈なのに

外国に来ると、皆が積極的でガンガン自分を出すから、

逆に縮こまってしまって、自分の中の"日本人"を見つけてしまう。

悔しい。 こんな筈ではないのに。。


女として理想的でありたい気持ち、

日本で、そうやって生きることが出来なかった、どこかにある自責の念、

仕事、家庭、人生、女性、

それでも、

それでも、

そんな辛さや、苦しさ、悩み、そういうものを全て乗り越えて、

自分が生き生き出来る場所を求めて、追い求めて、



今、私達はNYに居る。





その日、会場に居る全ての女性が、きっと "何か" を乗り越えて、ここに来た人達。



私も含め、そこに居た女性全員が泣きそうになってたと思う。



声に出していないけれど、みんな私と同じように悩んでいたんだ。


同じ苦しみ、悩み、

それでも死ぬほど前向きに、パワーに溢れ、

手探りで必死で進んできた道の中で、出会い、恩恵を受けた人、モノ、

全てに感謝するために、

そしてこれからの人達、未来のために、伝え、発信し続ける、彼女。 

そして、周りの、NYで頑張る女性たち。


あったし、何を悩んでたんだろう!? と思った。!!!

何を縮こまってたんだろう?

何を諦めようとしてたんだろう?


女だから?

世間の理想の女性像のために?

病がこわいから?


完璧な女性なんかいない。

どんなに強い女性でも、病にもなる。

理想とのギャップに悩むなら、自分が生き易い、生き生きできる場所を選べばいい。

恐れないこと。死にそうな壁にだってくじけないこと。 発し続けること。




あたし、諦めないでいいんだー・・・ って思った。

なんにも諦めることないんだって。


そう思ったら、本当に! 開放されたようにラクになって、

今まで、引け目になっていたことは何だったんだろう? 勿体無い!

NYの素敵な女性達から頂いたパワーに溢れて、

もっともっと色んなことしたい!!! 新しいことでも、知らないことでも、何だって!

と思えるようになった。


だから、この日は私が長年の悩みから吹っ切れた記念日。




1年前、家を引き払って、

太平洋の真ん中の島で、スーツケース1つ、家も無し、アテもなし、コネもなし、

ゼロからの生活を始めた私。

そして島を出て、ヨーロッパを渡り、NYへ飛び・・・
それでも、行った先では必ず誰かが居て、生活が始まって、
出会いがあって、人間関係が出来て、仲間が出来た。

人生、行った先で、必ず道は開けた。



だから、これからの日本に帰ってからの生活、前はちょっぴり不安だったんだけれど

今は、むしろ楽しみ。本当に楽しみ。

何でもやりたい! チャレンジ精神で溢れてる。

必ず進んだ方向に人生はある。





長いのに読んでくれてありがとうー。

頑張るの♪